この世界の広さなど、たかが知れている。私は美優に抱かれ、病院から出た。外は相変わらず晴天だ。さっきまでは似合わないと思っていたが、今はこれ以上、私に似合う天気は無いと思えた。
「法子さん、どこにいるんでしょうね?」
「知らん。だが、絶対に探しだしてみせる。だろ?」
「勿論です。じゃあ、法子さんの家に行ってみましょう」
美優は脱兎の如く走りだした。
法子の家はここから走って十分もしない所にある。ユーザー様が法子を選んだ場合、法子の家が登場する。出たがっていた法子なら、家にいるかもしれない。
法子の家はマンションの一角だ。高速で部屋の玄関までやってきた私と美優はノックもせずにドアを開ける。ドアは意外にもあっさりと開いた。
六畳一間の小さな部屋には、生活の色などまるで無い。それはそうだ。風呂も食事もトイレも必要無いのだから。私と美優は一直線に居間に向かう。
「法子! いるか! ……って、おい」
そこにいた法子ではなく、丈一と真澄だった。二人はベッドに腰掛け、突然の訪問者に驚きの顔をしていた。
「マスター? こんな所で何してるんですか?」
「何って、そりゃこっちの台詞だ。法子はどこに行ったんだ?」
私がそう言うと、丈一と真澄は互いの顔を見合わせ、大きくため息をつく。
「さっき出ていっちゃいました」
「どこに?」
「さぁ……。説得しようとしたんですけど、なかなか納得してくれなくて」
丈一は肩を落とす。私は美優の手から離れ、今度は丈一の膝の上に乗る。
「どんな事言ったんだ?」
「ええと……みんな出たいと思ってるから、法子さんだけわがままを言うのはどうかなって事を……」
「ふむ。そうか……」
間違ってはいないが、今の法子には少しきつい言い方だ。もう少し、別の言い方をするべきだ。
「お前達もここにいないで早く法子を探せ。次はいつゲームが始まるか分からないんだぞ」
「分かってますよ。でも、私達だって走りっぱなしで疲れてるんですよ」
真澄が出てもいない汗を拭く真似をする。
「心臓がねえんだから疲れねえだろうが!」
「……バレたか。でも、ここ以外に考えられる場所が無いんですよ」
「……」
真澄は真剣な顔で私に言う。実は私もそうだった。ここと病院以外、思い当る場所が無い。もしくは適当な所をほっつき歩いているのだろうか。だったとしたら、厄介だ。
「とにかく、みんなでずっとここにいても始まらない。美優、お前はここに残ってくれ。
もし、法子が帰ってきたら、すぐに泰紀の病室に戻るように言ってくれ。丈一、真澄。行くぞ」
「行くってどこにですか?」
真澄が私を持ち上げ、立ち上がる。丈一も立ち上がる。
「ここじゃないどこかだ!」
美優を残し、私と丈一、真澄は法子の家を出た。
「くっそー! どこにいるんだ、法子の奴」
「世話焼かせな子程、可愛いもんですよ。マスター」
私を抱く真澄が気楽に言う。
「可愛いが、可愛過ぎるってのもちょっと問題だな」
「ですね」
当ても無く街を走り回る私達。この世界では、背景としてしか登場しない家や建物の中には入れない。だとすれば、隠れられる場所も少ない。ならば、他のキャラの家か?
「真澄。お前達の家はどうだ?」
「行きましたよ、もう。でも、いませんでした」
「そうか……」
私は思考を巡らす。いつもおっとりしている法子。いつも甘えてばかりいるような子だ。そんなに遠くには行かないだろう。とすれば、やはり病院なのか……。
その時だった。最悪の音が聞こえた。ゲーム開始を告げるサイレン音だった。
「ただ今、ユーザー様が本ディスクをゲーム内に挿入。ゲーム開始場所は……オープニングです」
「何っ!」
私は自分の耳を疑ってしまった。オープニングだと? あともう少しで彩のエンディングに向かうというのに今からオープニング? どういう事だ?
「マスター! どうします?」
丈一の真っ青な顔をしている。誰にも分からないかもしれないが、私の顔も真っ青だ。
「どうするも何も……オープニングをもう一度やるしかない! 泰紀の事だ。右腕をつけて事故現場に向かっているはずだ。幸い、オープニングに法子は登場しないからな。このまま事故現場に行くぞ」
「はいはい。でも、もしそのままセーブ無しでやるなら、法子さん、出てきますよね」
真澄はサラリと言ってしまう。こういう時は言わないでほしかった。
「そっ……その時はその時だ。とにかく、走れぇ!」
「マスター。大変な事になってますね」
「ああっ、まったくだ」
天気はガラリと変わり、曇り空に雨だ。オープニングはこの天気なのだ。そんな中、傘を差した泰紀が私に声をかける。勿論、右腕はちゃんと付いている。
「とにかく、このシーンはちゃんとやりますよ。この後は……神頼みですね」
「だな。この世界にいるかは分からないがな」
私を答えを聞く事無く、泰紀は定位置についた。伊藤ちゃんがカメラを構える。その周りにいるのは私、丈一、真澄の三人だけだ。彩、美優、そして法子の姿は無い。美優も彩もすぐには出番は無い。だからきっと、美優はまだあの部屋に、そして彩は法子を探しているのだろう。……早く見つかってくれ、頼むから。
そう願う私の前で泰紀はドンと車に跳ねられた。車は電信柱に当たり、伊藤ちゃんが手を上げる。終わりの合図ではなかった。すぐさま、泰紀は右腕をもぎ取って立ち上がる。
「ったく。いてえっつうんだよ」
「ごくろう、泰紀。このまま病室まで走るぞ」
「落ち着く暇も無いね。まったく」
シャットダウンの事を考えていた。彩は絶対にするなと言っていた。勿論、私もするつもりなどない。だが、ユーザー様はこのままゲームを続ける気のようだ。このまま行けば、すぐに法子の出番が来る。そうなったら……どうすればいい?
「……何だ、これ」
無くなった右腕を見て、泰紀は思わず声をあげる。
「何なんだよ! これは」
泰紀のこの台詞を聞いたのは何日前だっただろう。物凄く前の事のように思える一方、つい数時間前のようにも思える。
もう、シャットダウンしかない。私はそう思い、伊藤ちゃんを見た。伊藤ちゃんはチラリと私を見た。その目には、何かの合図を待っているようだった。
私は伊藤ちゃんに首肯こうとした。
その時、病室の扉が叩かれた。泰紀は驚きを隠せない顔をしてしまう。しかし、それは私や丈一、真澄、伊藤ちゃんも同じだった。
扉が開き、出てきたのは白衣を来た法子だった。彼女はにっこりと笑っていた。しかし、その笑顔はどこか曇っているように見えた。だが、そんな事よりも、私は視界に法子がいる事の方が遥かに大事だった。
「おっ! やっと目が覚めたか。杉矢泰紀君!」
「……どちら様ですか?」
泰紀が小首を傾げると、法子はにっこりと笑い、白い帽子を指差す。
「この格好見ても分からないのかしら? 私は香山法子。あなたのお世話をする看護士よ」
「看護士……ああっ、看護婦の事か」
「そっ、今じゃ男も女も看護士って言うのよ。あなた、一週間も眠ったままだったのよ。
命に関わる事だったから、あなたのご両親の了解だけで、右腕は切除させてもらったわ」
「……ちょっと事情が分からないんですけど、詳しく教えてくれませんか?」
泰紀は目を泳がせる。法子はふぅと小さく息を吐き、それからゆっくりと話し始める。
「一週間前、あなたは交通事故に巻き込まれたの。事故の原因は飲酒。車に乗っていた人はかなりのお酒を飲んでいたらしいわ。それで、あんな狭い道にも関わらずかなりのスピードを出していた。そして、あなたにも気がつかなかった」
「……」
「あなたは右腕から車に当たり、そのまま道路に倒れこみ、気絶。奇跡的に右腕以外は無傷。その代わり、右腕は神経切断に無数の骨折。そして大量の出血。病院に運ばれた時にはもう手の施しようが無かった。だから、切除したの」
法子は一字一句をゆっくりと言う。
「勝手にやってごめんなさいね。でも、こうするしかなかったの。あのままだったら右腕は腐敗して、切除しないとその腐敗が全身にまで行き渡っていたから」
「……」
じっと法子の説明を聞く泰紀。
「あなた、ピアニストを目指していたんですってね。……本当に不運だったわね」
意外な言葉を聞いたかのように、泰紀が驚いて顔を上げる。
「……何で知ってるんですか?」
「さっきあなたのご両親がやってきて言ったの。あなたはまだ寝てたから、ご両親はもう帰られたけど。本当に悲しい出来事だったわね……」
法子は眉をひそめて言う。泰紀は何も言わない。
俯く泰紀の肩を、ポンポンと法子が叩く。
「でも、命が助かっただけよかったと思うべきよ。生きていれば、いい事だってあるわ」
「……そうですかね」
誰に言うでもなく呟く泰紀。法子はフゥと小さくため息をつく。
「まあ、絶望したくなるのも分かるわ。しばらくゆっくり考えなさい。それから、今、あなたがここで生きている事の喜びを感じなさい」
「……」
「とりあえず、私はもう行くわ。また来るからね。私、あなたの担当だから」
「はい……」
それでも泰紀の顔は優れない。気まずそうな顔をしながらも、法子は泰紀に手を振って出ていった。その後、再び扉がノックされ、彩が部屋に入ってくる。ここにいなかったから、もしかしたらと思っていたが、彩はちゃんと用意していたようだ。
そしてそのままゲームは続き、そして、その後の彩の初登場シーンを終えた後、ゲームは終了した。